「スパナ」
(全36ページ)
制作期間1996.3〜5
増刊少年サンデー超8月号掲載


いわゆる若いときに多くの人がかかる熱病に浮かされた若気のいたり的作品です。

これを言ったら元も子もないんですが、
前年にTVで再放送された「未来少年コナン」を初めて見て、
ちょうど大学で製鉄所の跡地を利用した環境設計の提案のような授業をやってたんで急に思いつきました。

ちなみに当時の担当には「現代が舞台かスポーツを描け」と言われてたのに全然違うの持っていきました。
(これは担当個人の意見というより、
実は当時の雑誌で枠を獲得するにはそれしかなかったことを後になって知りました)


初めて描いた漫画で十代で佳作を取り、二度目に描いたもので入選と増刊デビューを果たし、
次に描いた初めての「原稿料」が発生する漫画で週刊デビューという、一番天狗になってた頃です。

アシスタントに行きはじめてから、とにかく一度背景を前面に押し出そうと、
徹底的に世界を作ろう、そのためにはトーンや定規を使わない(枠・効果線除く)などと、
いろんな意味で若さに溢れている自分探し的な作品です。

実際ペン入れ途中に原稿投げ出してバイクで北海道を放浪してたりします。
(大学に行くのが趣味だった僕が突然来なくなったので、
携帯のない当時はいろんな憶測「死んだ」とか出たようです)


が、とりあえず担当の反応はイマイチ、
今考えたら「あーこういうの描きたい時期なんだろうけど、こんな漫画はくさるほどあんだよ」
という気持ちは大変よく分かるのですが、とにかく不評、不評。

新人はスポーツでしかデビューできない状況の中増刊に載っただけでもマシなんですが、
数字も悪く、原稿料も下がり、この後私は一度目の雑誌移動をすることになります。

結局は「社内で作家が若いうちからもめるのはよくないから」と編集者同士が相談して
完成した原稿と身柄を元の雑誌に戻すことで決着がついたという。
当時からすでにそういう奴だったんですね僕は。
今思えばすごい心遣いをされてたのですが、ああ若いって怖い。


とにかくまぁこれ以来私はこういう「少年誌王道」から遠ざかることとなり、
ダーク作家の道を歩むことになるのですが、
今見ても「ハタチでこれ描いてりゃ結構才能あんじゃねーか」と思う作品で、個人的には好きです。

このときの少年の心を伸ばしていれば全然違う作家になってたろうし、トガリは描けなかったと思いますし、
逆に今となってはもうこんなのは描けないでしょうなあ。
就職時にも役に立った、僕の人生の岐路に立つ思い入れの深い作品です。



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