04/02/07
バイク手放すことにしました。
ほとんど乗らなくなったせいで動かなくなって、
修理すればまだ乗れるんだけど保険の更新もあり結構な金がかかってしまうんで
今はそれもキツいんでねぇ。どのみち買い替えの時期だし。大型免許取ったのに買えてねーし。
運動不足だから近くなら自転車、それ以上は車で移動するようになっちゃったからな。
電車も前より使うようになった。寝たり考え事しながら移動できるよさを今更知りました。
19のとき歳買ったこのバイクにはいろんな意味で今の自分と深い関わりがありまして、
大学に入ってからサークルとか入ったんだけど酒好きじゃないし飲み会がうざくて行かなくなった頃で、
夏休みの後半、金はないけど暇はある状態でやろうと思ったことが漫画を描くことと車の免許。
教習所に通いつつ家では原稿描いてました。
で、なんだか賞金もらっちゃって。
とりあえず車は買えないけどスクーターくらいは買おうかと思って、
バイク買おうとしてた友達とバイク屋に行ったんだけど、
当時は原付がチャベス号みたいな黒い尖った感じののしかなくて、
カブも流行ってなくて改造しないといけないし、
最初買おうと思ってたレプリカタイプもなんか背伸びしてる高校生みたいで、
とにかく銀色のシンプルなやつが欲しかったんで、
結局中免取るしかねえ、ということになりまして。
朝から行った教習所の卒検に受かって嬉々として大学に行ったその日が阪神大震災。
全然知らなかった。
で、見つけた93年式クラブマンW、走行距離580kmの新古状態。
このバイクが欲しくて、明らかに賞金から足が出てたんだけど、
二本目の漫画描きながら「こいつで賞金50万取れば大丈夫」とか勝手に思ってて、
もともとカードやローンは使わない現金主義なので、
一万円のバッシュを買うのもためらう僕にとっての初めてのでかい買い物、
初めて見るような万冊の束を持って、先に買った革ジャンを着て歩いてバイク屋に行き、
眼鏡を外してメットをかぶり、乗って帰りました。
途中でメーターが読めなくて、眼鏡かけてないことに気づきました。
それから原稿が完成し、徹夜明けでテレビつけっぱにしてたら東京が大パニック。
地下鉄サリン事件でした。
「今朝原稿出来たんすけど今日東京行ったらまずいすかねえ」
当時の担当「いやもう大丈夫だよ」
「じゃあバイクで行きますねー」
途中何度もパトカーと警察を見かけ、間違って東京ドームのほうに行ったりしながら、
初めての遠乗り(つっても片道40kmくらい)で原稿を運んで出版社まで。
ちなみにその当日に担当は「ああ、あれね、オウムだよ」と地下鉄で帰って行きました。
恐るべし出版社の情報網。
その後実家の友達が遊びに来て、ホントは免許とって半年はいけない二ケツで鴨川シーワールドまで。
片道三時間かかりました。手が寒くて。
そして予告どおり賞金50万ゲット。通帳の残高が回復する感動の瞬間でした。
その後もアシスタントが決まってからも、深夜まで仕事するため片道一時間のバイク通勤。
当時は電車代もきつかったのでガソリンの方が安くつくし、乗るのが楽しかったので、
真冬はそれなりにきつかったんだけど、雪が積もらない限り乗ってました。
出版社も常にバイクで通い、アメ横で買い物するというのが定番でした。
成人式の日にアシスタント出てて、別にどーでもいっかと思ってたんだけど、
朝寝て夕方仕事だったんでバイクで戻って証拠写真を取りに出席しました。
スーツでバイクに乗るのがなんかカッコよかったのを覚えてます。
走り屋ではなかったしスピードも出ないのであまりツーリングとかも行かず、
本当に足として働き続けた大学時代。
一度北海道まで行ったけどね。原稿投げ出して。当時は完成したときが締切だったから。
二週間ほど高速も使わず青森からフェリーに乗って函館まで。
富良野で北の国からの石の家も見ました。
後で宿の人に聞いたら当時は熊が出るから立ち入り禁止だったらしい。
そういえばマタギの詰め所があった。
携帯も持ってないころでいきなり大学来なくなったから
(ていうかそれまで毎日行ってたほうがヘンなんだが)
友達がえらく心配してたのを後で知りました。
帰りに仙台で初の接触事故。ほんとにスローモーションなのね。出会いは。
転倒して最初に思ったのが「マズイ!交通止めてる!」で、
まず立ち上がって散らばった荷物を路側の草むらに運び、
つづいてバイクを起こそうとして足に力が入らないことに気づく。
なんか人が集まってきてる。俺ですか。俺のことですか。
初救急車。近くの病院ということで運ばれたのが産婦人科。
救急車で産婦人科に運ばれるのは急に産気づいた妊婦か俺くらいだ。
くまさんやうさぎさんの絵に囲まれてレントゲンを取るも異常なし。
バイクで帰ろうと思ったら明らかに走行が右寄り。タイヤまっすぐ回ってねーし。
大丈夫じゃなかったのはバイクのほう。途中で見つけた店に修理に出しました。
新幹線で帰ってあとで店まで取りに行きました。
週刊アシになって仕事が増えてからも、
みんなが寝てる間に起きて大学に出て、戻ってまた仕事してました。
会社の面接もバイクで行ったんで、受付で防寒服(しかも迷彩の軍服)を脱いで面接。
受かってました。
アパート探しもバイクで東京に通い会社近辺を回って見つけました。
会社も初任給で自転車買うまではバイク通勤、
東京の一方通行の多さに最初はたどりつけなくて遅刻しそうになりました。
最初は仕事のストレスで夜12時過ぎに退社してからバイクで大学や昔の仕事先に遊びに行き、
無駄話をして3時くらいに帰って翌朝また会社、ってのをしょっちゅうやってましたね。
どちらも片道50kmくらいあるのに。
慣れてからはもう昼休みに渋谷まで買い物に行ったり、
残業前やら抜けて出版社に行ったり、好き勝手してました。
ツーリングにも少しだけ行きました。紅葉がきれいだったのう。
無意味に九十九里や富士山に一人でふらっと行ったりもしました。
終電を逃した友人を乗せて夜の道を走ったことも何度も。
そして退社、バイトは自転車とバイク半々、終電後も働けるので時給がよかった。
トガリも短期連載時にはアシ給料払えないから大学まで通って後輩に手伝わせてました。
途中で「電車なら移動中寝られる」ということに気がつきました。
でも電車慣れてないから通勤時とかに乗っちゃって座れなかったり大変だったのう。
何度神奈川県に突入したことか。毎日のように寝過ごしてた。
初アシを雇ったときも当時は仕事場がなかったから出版社近くのホテルを借りて、
帰り台風が来てて土砂降りの中原稿を包んで死にそうになって帰りました。
あとで気がついたらテールランプが切れててやばかった。
そして連載、もう乗る暇がありません。
自分で入稿してた頃も、眠くてやばいんで電車にしました。何度か寝過ごしたり。
そんで車買っちゃったからな。車最高。寒くない。しかしホンダにしたのはバイクのせいかも。
最後にまともに乗ったのは個展に通ってた頃でしょうか。
その後から本格的にエンジンのかかりが悪くなり、
もともとキックがついてないからかからないとさらに乗らなくなり、
去年の夏に動いたのが最後でした。
本当は実家にでも置いて置きたいんだがなんせ今は収入がねえ…。
そういえば一度も実家まで帰んなかったな。
わしももう歳なんで、今はもう大学まで往復するのもやだもんな。車乗っちゃう。
もともと物を手放すのが苦手で新しいものを買えないのもあるし、まぁ金ないし、
あったら大型買いたいし、出会いがあれば別れもある。
引き取り手を探してるけどなんせ動かないんでねえ。買い取り屋に一度見ては貰うがどうだろう。
ホンダ単気筒なんで寿命長いはずなんだが。燃費いいし。
長いこと乗ってたんでいろいろキズも多いけど乗るには十分です。売れないかな。
できればまた次のオーナーにかわいがって欲しい気もするが、
俺のものとして一生終えるのもいいかな。って最初から中古なんだが。
総走行距離33021km。うち俺が32750kmくらい。
うれしいことも悲しいこともみな知ってるバイク
今はもう動かない(イィ〜〜〜〜〜〜〜)そのバイク
磨いたらキレイになった。まだ全然いけんじゃん。