from Mexico 10
00/03/06-00/03/09
パツクアロの朝。とりあえず朝食はヨーグルトとヤクルト。
今日は近くの湖にある島、イスラ(島。アイランドね。)・ハニツィオに行く。
遊覧船に揺られて着いた小さな島は観光地。つっても地元の、って感じ。
小さいので路地とかも入り組んで狭くいい景色ではある。
小学校の狭いコートでバスケをする少年らなど眺めたりするヘンな外人。
一応てっぺんにある公園の真ん中に建ってるでっかいモローレスの像に行く。
見たら中に入れるので行ってみるとらせん階段になってて中は一面壁画。
上っていくと彼の生涯が分かる、という仕組み。
スペイン語は分からんがとにかく独立のために戦って最後は銃殺されたらしい。
小さい島なのでなんとなく一周。観光客の通らない裏の方はかなり生活苦しそう。
写真撮りたかったけど怒られそうなのでカメラ向けられず。少しは撮ればよかった。
記憶に焼き付けようといつも心がけるんだけどねー、やっぱ今描けと言われても描けない。
帰りの船は何時に出る、と船頭に尋ねると
「ベインテイ ペルソナ」(20人)と答えられた。
人が集まるまで船が出ないので港でぼーっとしてると、
民族衣装を着た女の子達の一段に遭遇。
担任の先生らしき人にシャッター押してと頼まれる。
よくある普通の風景だが、さっき島の裏を見てきたので、
結構裕福な家庭の子らなんだろなーとか思って見てた。
その後いったん宿に戻って、キエロという街に買い物に行く。
本にそこが安いと書いてあったからなのだが、今考えるとあんま変わらない。
もう後は戻るだけだったから、かなり散財タイムになっていたので無駄買い。
ミニギターは音が全然あってない。すげー持って帰る時場所取った。しまった。
革製品とか確かに日本に比べると安いのだが欲しくないので買わず。
適当に買い物してまた宿に。
まー基本的にバスに揺られてそのへんを眺めるのが好きなのかも。
夜も公園などをぷらぷら。今日はあんまイベントないみたい。
このへんのタコスは油を使わず蒸すやつがあったので食べる。
夜に食欲が出てきたので屋台のハンバーガーを食べた。これはうまかった。
翌朝ちろっと散歩したあと、宿のおばちゃんに別れを告げる。
また来てね、と言われるとまた来たくなるのだが、性格的に同じ旅行は2度としなそう。
そう考えるともう2度と会わない人なので死んだも同然なのである。ちょっぴり悲しい。
でもまぁ実際生きてるので、
こういう人たちが地球の反対側で暮らしてるんだとたまに思えばいいのか。
さてさてシティーに戻る。宿は前と同じ日本人宿。ここは日本である。
適当に治安に気を付けながらひたすら買い物。
プロレスマスクを買い足したかったのだが、
会場が前行った場所と違って治安の悪い場所だったので行けず。
知らずに前のアレナメヒコに行ったら夕立に遭遇。乾季なので異常気象らしい。
夕食をスペイン語を勉強してる同い年の人と行く。スペインに1年留学してたそうだ。
なんちゃってで意味が通じる、ではなく普通に会話ができるのは、
動詞の変形なども入れると聞くのに5ヶ月、話すのに半年だったそうだ。
そこまでくればもう先にスペイン語が出てくるらしい。
日本に帰っても寝言がスペイン語だったとか。
夜はまた別の人とビリヤードに。隣の台で警官が制服のまま玉突き。
翌日は前の日に会った芸大の建築の学生に聞いた有名な建築家の家に行く。
ルイス・バラガンって知ってる?
確かに面白い建築ではあった。大きな窓や中二階、色と白の使い方など。
でもなんか彼は寂しい人だったらしく、随所にそういう感じがあった。
建築家の卵かなんかのおねーちゃんがつきっきりで英語でガイドしてくれた。
もっといろいろ聞こうにも英語が出てこず。
しかし俺のこったから仮に彼女が日本語が通じたとこであんましゃべんないと思う。
そのあとちょっと行ってなかったソナロッサを散歩。
買い物をしようとするもここはちょっと高級なので買わず。
銀細工をやたらにすすめられたが興味ないので買わず。
日本で買う1/3-1/4らしいんだけどね。別に贈る人もいねーし。
面白いという話の蝋人形館は場所が分からず。
そしてスーパーとおみやげ市場で買い物。
シティーのおみやげ市場は実は何でも手に入ることをあらためて痛感。
ハンモックなど買ってしまう。ばーちゃんちの納屋に吊るして夏寝たい。
宿に戻って何人かとメシなど食いに行ったり軽く飲んだりする。
ヒロさんという1年以上旅行を続けてる方にいろいろ話していただく。
年は一個上で、日本での会社でのこととか、何を探して旅行に行くのだとか、
何を見つけて帰るのか、とかいろいろ話す。こういう話なら結構できる。
その前飲んでたとこの彼氏とか彼女とかの話はほとんど参加できませんでした。きゃー。
そして翌朝、と言っても5時とか、空港へ行くのでした。
後は戻るだけ、ちょっとほっとしたよ正直。
ロスで乗り換えて載った飛行機で日比谷線の脱線を知る。そんな時期。
ロスからの帰りは自転の関係で12時間もかかった。
かわいい女の子が隣だった行きと違って帰りはヒゲ面の屈強な男。
窓際で外ばかり眺めてたのと体調不良のため口聞きませんでした。すんません。
何度もトイレに行ってしまった。
成田で検疫にかかるかも、と思ったら自己申告。行くかそんなん。
旅行中におなかを壊した人ってまわりの連中とか留学してたらしく
ほぼ全員だけど言わないとか話してるのにまぎれて流れる。
おかげで税関も通過。一度もかかった事なし。
キューバに行ってた人は全部開けられたらしい。
そんな感じで日本に戻ってまいりました。
ちなみに腹痛・発疹は帰国後も治らず、病院に通って一周間後くらいにようやく完治。
一応検査してもらったけどヤバい菌は検出されませんでした。